2014年5月26日月曜日

2014年  7月の開講日
























7月の行事と言えば「七夕」ですね。
 (有名な仙台七夕のように、旧暦で8月に行う地域もありますが)

七夕は、中国の『乞巧奠(きっこうでん)』という、
針仕事などの技術上達を祈る行事が原型だそうです。

  「乞」=お願いする
  
  「巧」=巧み。技
  
  「奠」=祀る


それが中国の唐で『牛郎織女(ぎゅうろうしょくじょ)』の民話と混ざり、
陰陽五行説にそって陽数(吉数)の“7”が重なる
旧暦7月7日に行われるようになると
“七夕”と呼ぶ星祭りに変化します。

七夕が、奈良時代の日本に伝わったとき、
『牛郎織女』の説話は、日本で『棚機津女(たなばたつめ)
と言っていたため、
“七夕”に、“タナバタ”の、訓みをつけました。

笹に結ぶ短冊には「漆芸上達」と書いておくと、
よいことが有るかもしれませんね(・ω<)



ところで、

小郡市の七夕神社には、棚機姫社神(たなばたひめこそ神)が祀られています。
姫社神は、新羅から来日し、福岡県糸島市の姫島や、大分の姫島を通って
大阪の比売許曽神社に鎮座した“阿加流比売神(あかるひめ)”だといわれています。


さらに、
『日本書紀』の応神天皇記に、
阿知使主(あちのおみ)親子が呉の国へ行き、
  兄媛(えひめ)
  弟媛(おとひめ)
  呉織(くれはとり)
  穴織(あなはとり)
の、四人の織縫工を連れてきたことが記されています。
“棚機”は機織のことです。

阿知使主ら一行が筑紫に到着すると、宗像氏が工女を求めたので、
兄媛を残して難波へ向かったとあります。

兄媛は宗像の地で、中国の高度な染色・機織り・裁縫の技術を広めたそうで、
現在は、 福岡県福津市奴山の縫殿神社に祀られています。



ちなみに穴織は、大阪府池田市綾羽の伊居太神社(いけだじんじゃ)に祀られており、
当社の由緒書によれば、
・・・ここに穴織、呉織の機殿、縫殿を建て、全国の婦女子を集めて技術を教育し・・・
とあります。

先日、世界遺産暫定リストに登録されて話題になった富岡製糸場では、
フランスの技術者が日本人に製糸技術を指導し、
そこで学んだ人たちが全国で技術指導にあたったそうですね。
似たようなことが、古墳時代の倭国でも行われていたようです。



また、田川郡香春町には“呉媛の墓”というものがあります。

















なんと、
・・・この地で弟媛・呉織・穴織の三人が住、み服織をしていたが、
     一人はこの地にとどまり、あとの二人は畿内に行った・・・
という言い伝えがあるのだそうです。


















呉織は香春に残ったのでしょうか?
謎です。
ただ、香春には新羅の製銅技術者がたくさん住んで、
香春岳で銅を採取・精錬していたそうです。

奈良の大仏様を作るとき、香春の銅が使われましたし、
宇佐神宮の放生会で用いる銅鏡は、ここ香春で鋳造されていました。
呉媛の墓がある場所は、鏡山という地名だそうです。



四人の織縫工を連れに呉へ行ったのは、応神天皇の治世でした。
応神天皇のお母さんは“神功皇后”こと、息長帯比売(おきながたらしひめ)です。

息長氏の先祖は、天日槍(あめのひぼこ)で、
アカルヒメを追いかけて来日した新羅の王子です。

阿知使主も東漢氏の祖先で渡来人です。
古代は、我々の想像以上にグローバルだったようです。
現代、日本のエンジニアがハイテク技術を新興国に伝えているのと一緒ですね。
漆芸も、こういった技術者集団の行き来の中で伝え・伝えられたのでしょう。





さて、来月の開講日です

<金曜日:天神教室>
7月 4・18・25日
    ・・・9:30~12:00

<土曜日:姪浜教室>
7月 5・19・26日
    ・・・9:30~12:00

上記以外の日時に講習希望の場合は
ご予約をお願いしていますが、
ご希望に沿えない場合がございます。
何卒ご了承ください。